ここで、発明とは何かということを深く追求してみても実務上の効果は少ないかもしれませんが、一応、話の順序として触れておくことにします。「特許法ではにの法律で”発明”とは、自然法則を利用した技術思想の創作のうち高度のものをいう。」(特許法第2条)と定義されています。
ここで「高度のもの」というところはさほど気にしなくてもよいでしょう。これは実用新案法で定義されている「考案」との対比で挿入されたものです。ちなみに、実用新案法ではrこの法律で「考案」とは、自然法則を利用した技術思想の創作をいう。」となっております。
大切なのは「自然法則を利用した・・・創作」ということです。たとえば、
F=q(E+v×B)
は電場Eと磁束密度Bの中でvの速度で動く電荷qが受ける力がFであることを表しています。(ローレンツの力)
また、
T=2π√l/g
は、長さlの糸の一端に質点をつけ、他端を固定した単振子の重力場gにおける周期がTであるということです。
これらはいずれも「自然法則」であり、この法則を認識するか否かにかかわらず、自然界はこの法則に従っているのです。これらの法則を初めて見つけだすことは、発明ではなく「発見」であり、これ自体は特許の対象とはなりません。
これらの法則を利用して、たとえば、受像管や真空管を初めて創りだしたり、あるいは、時間を測る時計を創り出したとき、これが「発明」です。
数字や文字あるいは記号を組み合わせて暗号を作る方法などは自然法則を利用するものではなく特許法でいう発明ではありません。また、コンピューターのプログラムが特許になるか否かという質問をよく受けますが、現在のところ、プログラムそのものは特許の対象とならないと考えたほうがいいと思います。
次に、重要なことは、「願望ぱ特許せず」ということです。「こういうものがあればよい」とか「こういうことができればよい」というのは単なる願望であって「技術思想の創作」ではありません。その願望を達成するための技術的障害や技術上の課題を解決したとき、これが発明なのです。地震や雷のエネルギーを有効に利用できれば素晴らしいことです。
天候を人為的にコントロールできれば有難いことです。東京と大阪の間を1時間で走る鉄道があればより便利でしょう。しかし、どのようにしてこれを実現するかが問題であり、その解決の手段や方法が発明なのです。もちろん、その手段や方法も単なる理屈ではなく、必ず実現可能なものでなければなりません。
こういえば、これは至極当然のことで、だれでも納得のいくことでしょうが、時には願望と発明を混同したようなケースに遭遇することもあるのです。願望は特許出願しても特許庁で拒絶になり、特許として成立することはありません。